近年の新型車に乗り込むと、まず目に入るのは巨大なディスプレイです。メーターは液晶化され、エアコンやオーディオの操作までタッチパネルへ統合されるなど、自動車のインテリアは急速に「デジタルデバイス」に近づいてきました。
しかし、ブガッティを率いるマテ・リマックCEOは、こうした流れそのものに疑問を投げかけています。
リマック氏が訴えているのは、単純な「物理ボタン回帰」ではありません。欧州メーカーが中国メーカーとディスプレイの大きさやインフォテインメント、充電性能などで競争するのではなく、欧州車が長年培ってきた素材、職人技、ブランドの歴史といった「簡単には数値化できない価値」に立ち返るべきだという主張です。
そして、その考え方を最も極端な形で具現化したクルマこそ、ブガッティ Tourbillonなのかもしれません。

「12インチの画面」は30,000ユーロのクルマでも300,000ユーロのクルマでも同じ
リマック氏の主張を象徴するのが、ディスプレイに対する考え方です。
Motor1によれば、12インチのディスプレイは30,000ユーロ(約534万円)のファミリーカーに搭載されても、300,000ユーロ(約5,340万円)の高級車に搭載されても、結局は同じ12インチのディスプレイです。
※日本円換算は2026年10月7日時点、1ユーロ=約178円で概算。
しかも現在では、より安価なクルマのほうが大きなディスプレイを搭載しているケースすら珍しくありません。
これは高級車メーカーにとって非常に重要な問題です。かつて高級車にしか存在しなかった装備が、デジタル技術では短期間のうちに大衆車へ普及してしまうからです。
大型ディスプレイも高性能プロセッサーも、登場した瞬間には先進的に見えるものの、数年後にはさらに高性能な製品が登場します。そのため、「最新技術」であること自体を高級車の価値にすると、時間の経過とともに商品価値まで古びてしまうという弱点があります。
リマックが見せたのは最新のブガッティではなく、古いロールス・ロイス
興味深いのは、リマック氏が自身の考えを説明する際に注目したのが、最新のハイパーカーではなかったことです。
彼が取り上げたのはロールス・ロイス Silver Seraphで、そのインテリアに使われている本物のウッドやレザーなどを示しながら、かつての欧州高級車が持っていた価値を説明しています。
つまり、重要なのは「何インチの画面が付いているか」ではなく、触れたときの素材感や金属部品の冷たさ、木材の質感、レザーの香り、そして職人が仕上げた部品そのものに価値を感じられるかということです。
デジタル技術ではスペック表によって優劣を簡単に比較できますが、本物の木材や金属、レザーを使い、それを熟練した職人が仕上げるという価値は、単純な数字だけでは比較できません。
ここにリマック氏が考える「ラグジュアリー」の本質があります。
欧州メーカーは中国メーカーと同じゲームをするべきではない
リマック氏の発言でさらに重要なのは、この話がブガッティだけに向けられたものではない点です。
中国メーカーは巨大ディスプレイ、高性能インフォテインメント、EVの充電性能、ソフトウェアなどの分野で急速に競争力を高めています。
そこで欧州メーカーまで同じ方向へ進めば、最終的には「誰の画面が大きいのか」「誰の充電速度が速いのか」というスペック競争になってしまいます。
しかしリマック氏は、欧州メーカーが中国メーカーと同じゲームをしても勝つことは難しいと考えており、それよりも長い自動車文化やブランドの歴史、クラフトマンシップといった欧州メーカーならではの強みを活用するべきだと主張しています。
これはかなり重要な指摘でしょう。
中国メーカーが欧州メーカーに追いつこうとしているのなら、欧州メーカーが自ら中国メーカーの得意分野へ移動する必要はありません。
むしろ「簡単にはコピーできないもの」を磨くことこそ、ブランド価値を守る方法なのかもしれません。
その答えがブガッティ Tourbillon

この思想を実際のクルマとして表現したのが、ブガッティ Tourbillonです。
Tourbillonでは巨大なデジタルメーターを採用せず、スイスの時計職人と共同開発した完全アナログ式のメータークラスターを採用しています。
ブガッティによれば、このメーターは650点を超える部品から構成され、伝統的な高級時計製造の技法を用いて手作業で組み立てられます。
つまりTourbillonのメーターは、情報を表示するためだけの「デバイス」ではありません。
それ自体が工芸品なのです。
さらにステアリングも特徴的で、中央部分を固定したままリムだけが回転する構造とすることで、ドライバーから機械式メーターが常に見えるよう設計されています。
もちろんTourbillonにも必要に応じて使用できるデジタルディスプレイは存在しますが、普段は格納できる構造となっており、インテリアの主役にはされていません。
これは単なるレトロ趣味ではなく、「数十年後、あるいは100年後に見ても古く感じないものを作る」というブガッティの設計思想によるものです。
約6億7,600万円のクルマだからこそ、画面では差別化できない
Tourbillonの価格は税抜き380万ユーロからで、2026年10月7日時点の為替レートで単純換算すると約6億7,600万円です。
世界限定250台という極めて特別なクルマであり、この価格帯になれば、大型ディスプレイや高性能なインフォテインメントを搭載したところで、それ自体が購入理由になるとは考えにくいでしょう。
むしろ数年で陳腐化する可能性のあるディスプレイよりも、何十年経っても価値を失いにくい機械式メーターや金属、クリスタル、レザーなどにコストをかける。
Tourbillonを見ると、リマック氏の発言が単なる理想論ではなく、実際の商品開発にまで徹底されていることが分かります。
高級車と高級時計には共通点がある
リマック氏は欧州自動車産業について、高級時計産業を参考にするべきだという趣旨の考えも示しています。
これは非常に分かりやすい例です。
現在では、数千円のスマートウォッチでも機械式高級時計より正確な時刻を表示でき、GPS、心拍数、通知、決済など圧倒的に多くの機能を備えています。
それでも機械式高級時計の価値が失われたわけではありません。
むしろ機能だけでは説明できない機械の美しさ、職人技、歴史、希少性、ブランドの物語に対して、人々は大きな金額を支払っています。
クルマも同じなのではないか、というのがリマック氏の考え方でしょう。
「機能が多い=高級」という価値観から、「所有することそのものに価値がある」という方向へ戻る。
Tourbillonという名前自体が1801年に生まれた時計機構に由来していることを考えても、ブガッティが高級時計産業を強く意識していることは明らかです。
ただし、すべての欧州車がブガッティになれるわけではない
一方、この戦略を欧州メーカー全体へそのまま当てはめることはできません。
フォルクスワーゲン Golfやルノー Clio、シュコダ Octaviaのような大衆車まで、高価なレザーや金属、職人による手作業を大量投入すれば、当然ながら販売価格は上昇します。
BMWやメルセデス・ベンツのようなプレミアムブランドでさえ、一定の販売台数を確保するためには比較的手の届きやすいモデルが必要です。
さらに中国メーカー自身も高級車市場へ進出しており、「中国車=安価な巨大スクリーン」という構図も徐々に崩れています。
したがって、画面を小さくしてレザーを増やせば欧州メーカーが復活できる、という単純な話ではありません。
それでもリマック氏の主張には、現在の自動車業界を考えるうえで重要な意味があります。
「最新」ではなく「時間が経っても価値が残るもの」へ
現在の自動車業界では、ディスプレイの大型化やソフトウェア機能の追加が、新型車の進化として分かりやすく示されます。
しかし、その競争を続ければ、クルマはスマートフォンのように数年単位で古く見える製品になってしまう可能性があります。
一方、30年前の高級車に使われた美しいウッドパネルや金属製スイッチ、上質なレザーは、現在見ても必ずしも「古いから価値がない」とは感じません。
むしろ時間が経過したことで、その時代の職人技やメーカーの哲学を感じられるものになっています。
ブガッティがTourbillonで目指しているのは、まさにそこなのでしょう。
最新のディスプレイを搭載することではなく、50年後、100年後にも「これは美しい」と思えるものを作る。
デジタル化が急速に進む現在だからこそ、リマック氏が問いかける「そもそも高級とは何なのか」という問題は、ブガッティだけでなく、メルセデス・ベンツやBMW、ポルシェを含めた欧州プレミアムブランドにとって、今後ますます重要なテーマになっていきそうです。
参考・出典:Motor1 / Bugatti Newsroom / European Central Bank




