「安全なクルマ」と聞いて、Volvoを思い浮かべる人は少なくないでしょう。
3点式シートベルトをはじめ、長年にわたって安全技術を追求してきたVolvoですが、その研究内容を詳しく見ていくと、一般的な衝突安全試験だけでは説明できないほど徹底しています。
その象徴ともいえる存在が、巨大な「ヘラジカ型クラッシュテストダミー」です。
世界でも極めて珍しいこのダミーを使い、Volvoは実際にクルマを衝突させる試験を実施しています。
一見すると少し変わった実験にも見えますが、その背景には、スウェーデンという土地で実際に発生してきた事故と、Volvoが長年貫いてきた「現実の事故から安全なクルマを作る」という思想があります。
世界にわずか2体という「ヘラジカ型ダミー」

Volvoが大型動物との衝突試験に使用しているのは、本物のヘラジカに近い衝突特性を再現するために設計された特殊なダミーです。
Volvoが公開している映像に登場する大型動物ダミーは約360kgで、116枚のゴム製ディスクを鋼製部品などで連結した構造を採用しており、さらにコンピューター上で衝突を再現するための「デジタルツイン」も用意されています。
こうした大型動物用ダミーは世界でも極めて珍しく、Volvoによれば同種のものは世界にわずか2体しか存在しません。
しかし重要なのは、単に巨大な物体をクルマへぶつけているわけではないということです。
ヘラジカ特有の体型こそ、この試験が必要になる最大の理由なのです。
なぜヘラジカとの衝突は危険なのか

一般的な乗用車同士の正面衝突では、バンパーやクラッシャブルゾーンなど、車体前部に設けられた衝撃吸収構造が大きな役割を果たします。
ところが、ヘラジカは非常に脚が長く、その重量の大部分を占める胴体がボンネットよりも高い位置にあります。
そのためクルマがヘラジカへ衝突すると、まず比較的細い脚を車体前部が払うような形になり、その直後に数百kgにもなる巨大な胴体がボンネットの上へ倒れ込み、フロントガラスやAピラー、ルーフ周辺へ直接衝突する可能性があります。
つまり、通常の正面衝突で活躍する車体前部の衝撃吸収構造を十分に使えないまま、乗員に極めて近い場所へ巨大な質量が飛び込んでくるのです。
Volvoが1980年代から研究してきたヘラジカ衝突では、この特殊な事故形態が重要なテーマとなってきました。
70km/hで大型動物に衝突するという現実
Volvoが行う大型動物衝突試験では、実際の事故を想定した速度域でクルマをダミーへ衝突させます。
公開されている試験映像ではXC60が約70km/hで大型動物ダミーへ衝突しており、車体前部が脚を払ったあと、重い胴体部分がボンネットからフロントガラス付近へ猛烈な勢いで移動していきます。
映像だけを見れば非常に激しい事故ですが、ここで重要になるのがAピラーやルーフ周辺の強度です。
フロントガラスが損傷したとしても、Aピラーやルーフ構造が大きく変形せず、乗員の生存空間を維持できれば致命的な傷害につながる可能性を低減できます。
一般的な衝突安全試験ではなかなか評価されない領域ですが、Volvoにとっては「実際に起こっている事故」である以上、無視できないものなのです。
実際に400kgのヘラジカと衝突したXC60
この研究が単なる実験室の話ではないことを示す出来事もあります。
Volvoが2026年7月に紹介した事例では、スウェーデン北部キルナ近郊を走行していたXC60の前に、約400kgのヘラジカが突然現れました。
当時は吹雪によって視界が悪く、対向車の陰からヘラジカが道路へ飛び出したため、ドライバーが回避する時間はほとんどなかったとされています。
XC60はヘラジカの脚付近へ衝突し、その巨体はボンネットからフロントガラス付近へ乗り上げました。
まさにVolvoが研究してきた大型動物衝突そのものといえる状況でしたが、乗員は大きな被害を免れました。
研究所で繰り返されてきた特殊な衝突試験が、現実世界で意味を持つことを示す非常に象徴的な事例といえるでしょう。
Volvoは1970年から実際の事故を研究している
Volvoの安全開発を理解するうえで重要なのが、単に法規や衝突試験の最高評価を目指してクルマを作っているわけではないという点です。
同社は1970年以来、実際に発生した交通事故のデータを継続的に収集しており、現在までに5万件を超える事故、8万人以上の乗員に関するデータを分析しています。
そこで「実際に人が負傷している事故」が見つかれば、既存の衝突試験項目に含まれているかどうかにかかわらず原因を研究し、車両開発へ反映するという考え方です。
ヘラジカとの衝突もそのひとつであり、一般的な安全評価ではほとんど扱われない事故であっても、北欧では現実に発生する以上、Volvoにとって研究する価値があります。
だからこそ、世界でもほとんど存在しない特殊なダミーまで作ってしまったのでしょう。
衝突してから守るだけではない
さらに現在のVolvoは、衝突時の乗員保護だけでなく「そもそも大型動物に衝突しない」ための技術も進化させています。
カメラやレーダーなどを利用して大型動物を検知し、必要に応じてドライバーへ警告したり、衝突回避・被害軽減ブレーキを作動させたりする技術に加え、2026年には大型動物を検知した情報を他のVolvo車と共有する「Large Animal Alert」も発表されました。
前方を走るVolvoが大型動物を検知すれば、その情報を後続車へ伝えられるため、見通しの悪い道路でもドライバーが危険を事前に認識できる可能性があります。
「衝突しても守る」という従来のパッシブセーフティと、「衝突そのものを避ける」というアクティブセーフティが組み合わされることで、大型動物事故への対策も新しい段階へ進みつつあります。
規則にないからこそ試験する、それがVolvo
ヘラジカ型ダミーを使った衝突試験は、Volvoの安全思想を非常に分かりやすく表しているのかもしれません。
自動車メーカーに求められる衝突試験をクリアするだけなら、ここまで特殊な設備を用意する必要はないでしょう。
しかしVolvoが見ているのは試験の点数ではなく、実際の道路でどのような事故が起こり、そこで人がどのように負傷しているのかという現実です。
だからこそ、必要であればヘラジカまで再現してクルマをぶつける。
少し奇妙に見える巨大なダミーの存在は、Volvoが長年「安全のブランド」と呼ばれてきた理由を、何より雄弁に物語っているのではないでしょうか。
参考・出典:CarBuzz / Volvo Cars / Volvo Cars Safety Centre


