フェラーリやランボルギーニ、ポルシェのように数十年という長い歴史を持つメーカーがひしめくスーパーカーの世界で、わずか四半世紀ほどの間に独自の地位を築き上げたメーカーがあります。
それが、イタリアのパガーニ・アウトモビリです。
今回紹介する動画では、1999年に登場した初代ゾンダC12から、ゾンダF、ゾンダR、ウアイラ、ユートピア、そして2026年のウアイラ70 Derechoに至るまで、パガーニの進化が約3分間に凝縮されています。
しかし、パガーニの歴史を単純に「歴代モデルの進化」として見るだけでは、このメーカーの本当の面白さは伝わりません。
その背景には、一人の少年が抱いた夢、F1の伝説ファン・マヌエル・ファンジオとの出会い、ランボルギーニで培ったカーボン技術、そしてメルセデスAMGとの長い関係があります。
すべてはアルゼンチンの少年の夢から始まった

パガーニ創業者のホラチオ・パガーニは1955年、アルゼンチンに生まれました。
幼い頃から自動車に強い関心を持ち、自動車雑誌を読みながらスケッチを描いていたホラチオ少年が憧れていた人物の一人が、アルゼンチンが生んだ伝説的レーシングドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオでした。
若い頃から自らミニバイクや車両を製作するなど、ホラチオにとって自動車は単なる移動手段ではなく、「自分自身で創造するもの」だったのです。
その後イタリアへ渡り、ランボルギーニで働くようになります。
ここでホラチオが特に可能性を感じていたのが、現在ではスーパーカーに欠かせない素材となったカーボンファイバーでした。
当時としては非常に先進的だった複合素材への研究を続け、その経験が後のパガーニを特徴づける軽量構造とカーボン技術へとつながっていきます。
やがてランボルギーニとの仕事を離れたホラチオは、複合素材を扱うModena Designを設立。そして、自らが理想とするスーパーカーの開発へと踏み出します。
1999年──伝説の始まり「ゾンダC12」

その夢が初めて形になったのが、1999年のジュネーブ・モーターショーで発表された「ゾンダC12」です。
流れるようなボディライン、中央に4本まとめられた特徴的なエキゾースト、航空機を思わせるコクピットなど、そのデザインは当時のフェラーリやランボルギーニともまったく異なるものでした。
そしてパガーニを語るうえで欠かせないのが、メルセデスとの関係です。
ホラチオと親交のあったファンジオは、彼をメルセデスへとつなぐ役割も果たしたとされ、その後パガーニはAMG製V12エンジンを採用することになります。
ゾンダはC12で完成したモデルではありません。
むしろ、ここから20年以上に及ぶ「終わらない進化」が始まりました。
ゾンダS、ロードスター、そして名車ゾンダFへ

2000年には7.0リッターエンジンを搭載したゾンダSが登場し、その後さらに排気量を拡大した7.3リッター仕様へと発展。2003年にはゾンダ・ロードスターも登場します。
そして2005年、ゾンダ史の中でも特に重要なモデルとなる「ゾンダF」が誕生しました。
「F」が意味するのは、ファン・マヌエル・ファンジオです。
ホラチオ・パガーニにとってファンジオは単なるモータースポーツ界の英雄ではなく、自らの夢を後押ししてくれた友人であり、恩人でもありました。
当初ホラチオは自身初のスーパーカーを「Fangio F1」と名付けることも考えていましたが、ファンジオが1995年に亡くなった後、車名はアンデス山脈から吹き下ろす風に由来する「Zonda」へ変更されました。
その想いが、約10年後に「Zonda F」という形で改めて表現されたのです。
ゾンダRで「公道」という制約から解放される

ゾンダの進化はさらに過激になっていきます。
2009年に登場したゾンダRは、公道走行を前提としないサーキット専用モデルでした。
ロードカーのゾンダを単純に軽量化したものではなく、カーボンとチタンを組み合わせた「Carbo-Titanium」をはじめとする先進素材を投入し、AMG製6.0リッター自然吸気V12を搭載。
最高出力は750PSに達しました。
さらにニュルブルクリンク北コースでは6分47秒というタイムを記録し、パガーニの技術力を世界へ強烈に印象づけます。
そして、このゾンダRで得られた技術や知見は、次世代モデルへと引き継がれていきました。
2011年──第二章「ウアイラ」

2011年、パガーニはゾンダに続く第二世代モデル「ウアイラ」を発表します。
実はウアイラの構想そのものは2003年から始まっていました。
当時はブガッティ・ヴェイロン、ポルシェ・カレラGT、フェラーリ・エンツォ、メルセデス・ベンツSLRマクラーレンなど、歴史に残るスーパーカーが次々と登場していた時代です。
そこでパガーニは、1990年代初頭に基本設計されたゾンダとはまったく異なる次世代車を作る必要があると考えました。
ウアイラ最大の変化のひとつがエンジンです。
ゾンダの自然吸気V12に対し、ウアイラにはメルセデスAMG製M158型6.0リッターV12ツインターボを搭載。初期型でも730PS、最大トルク1,000Nmという強烈な性能を発揮しました。
さらに車体前後に配置された可動式フラップを使うアクティブエアロダイナミクスも導入され、パガーニは美しい造形だけでなく、空力そのものを積極的に制御する時代へ入ります。
ウアイラBC──「BC」に込められたもう一つの友情

2016年には、より高性能な「ウアイラBC」が登場します。
BCという名称は、パガーニの最初期の顧客であり、ホラチオの親友でもあったベニー・カイオラ(Benny Caiola)のイニシャルです。
ファンジオへの敬意をゾンダFとして表現したように、パガーニは単に性能やマーケティングのためだけに車名を付けるメーカーではありません。
一台のクルマに、ホラチオ自身の人生や人間関係まで刻み込んでいることが分かります。
その後もウアイラはロードスター、ロードスターBC、イモラ、ウアイラ・トリコローレ、ウアイラR、コーダルンガなどへと発展していきます。
2022年──第三章「ユートピア」

そして2022年、パガーニ第三世代となる「ユートピア」が登場しました。
開発コードはC10。
初代ゾンダがC8、ウアイラがC9だったことを考えると、文字通りパガーニの「第3章」です。
興味深いのは、パガーニがユートピアを開発する際、既存顧客に「次のパガーニに何を求めるのか」を尋ねていることです。
そこで繰り返し挙げられたのが、
「シンプルさ」 「軽さ」 「運転する楽しさ」
という3つの要素でした。
その結果、ユートピアは現代のハイパーカーでは珍しくハイブリッドシステムを採用せず、AMGがパガーニ専用に開発した6.0リッターV12ツインターボを搭載しました。
最高出力は864PS、最大トルクは1,100Nm。それだけでも十分に現代最高峰の性能ですが、さらに象徴的なのが7速MTを選択できることです。
電動化やDCTによってラップタイムを削ることより、人間が機械を操作する喜びを残す。
ユートピアは、パガーニが「速さだけではないハイパーカー」を改めて定義したモデルともいえるでしょう。
それでもゾンダとウアイラは終わらない
通常、自動車メーカーが新型車を発売すれば旧型車の生産は終了します。
ところがパガーニは違います。
ゾンダは1999年に登場したにもかかわらず、その後も顧客の要望に応じて760シリーズなどの特別仕様が作られ続けました。
ウアイラも同様で、ユートピア登場後も特別なプロジェクトが続いています。
そして2026年には、ホラチオ・パガーニの70歳を記念する3台の「Huayra 70」のうち、第2作となる「Huayra 70 Derecho」が公開されました。
6.0リッターV12ツインターボと7速MTを組み合わせたこのモデルは、最新のユートピアが存在する現在でも、ウアイラという作品が完成形として固定されていないことを象徴しています。
パガーニはなぜこれほど特別なのか
動画で1999年から2026年までのパガーニを連続して見ると、あることに気づきます。
ゾンダ、ウアイラ、ユートピアは確かに異なる世代のクルマですが、根底にある考え方は驚くほど変わっていません。
カーボンをはじめとする先進素材への執念、AMG製V12へのこだわり、機械そのものを見せるインテリア、航空機や高級時計を思わせるディテール、そして性能だけを追求するのではなく、美しさまで同時に成立させようとする姿勢です。
その根底にあるのが、ホラチオ・パガーニが繰り返し掲げてきた「芸術と科学は共に歩まなければならない」という思想です。
フェラーリやランボルギーニほど長い歴史があるわけでも、大規模メーカーのような生産能力があるわけでもありません。
それでもパガーニが世界最高峰のハイパーカーメーカーとして認められているのは、クルマを単なる工業製品としてではなく、一台の「作品」として作り続けてきたからなのでしょう。
1999年のゾンダC12から、ウアイラを経てユートピアへ。
そして最新モデルが登場しても、過去のゾンダやウアイラを捨てることなく、新しい作品へと進化させ続ける。
動画に映し出された約27年間の変化は、単なるモデルチェンジの歴史ではありません。
それは、アルゼンチンでクルマを夢見ていた一人の少年が、自らの理想とする「自動車という芸術」を追い続けてきた歴史そのものなのです。
参考・出典:Pagani Automobili




